1.人は何のために生まれてきたのか?あなたは「自分は何のために生まれてきたのだろう?」と、思ったことはありませんか? 人生の目的というテーマは、昔から今に至るまで、多くの人々の頭痛の種になってきました。 その理由は、多くの場合、私たちが誤った出発点、つまり「自分」から出発してしまうことによります。自分が中心?ー私は何になりたいのか、私は何をなすべきなのか、私の願いは、私の夢はなど、質問の中心にはいつも「自分」を置いているのです。 しかし、自分を中心に考えてみても、人生の目的は決して見えてきません。自分が何のために生まれたのか知りたければ、まず神を出発点としなければなりません。 というのは、その質問に答えられるのは、私たちをお造りになられた神だけだからです。神は聖書の中...07Oct2016信者でない方へ
2.人生の目的を発見し生きるための第一歩は?あなたが人生の目的を発見するための第一歩は、神との関係(交わり)の回復です。聖書によれば、私たち人間は皆、生まれつき罪の性質を持っており、それゆえに、すべての人が罪人であると言っています。そして、その罪によって、私たち人間は神との関係が断たれている状態にあると言っています。罪とは?ー「罪人」と言われても、ピンと来ない人もいるでしょう。罪とは、そもそも神が定められた人生の原則を無視して、自分勝手に生きようとする生まれながらの欲望のことです。つまり、自分が人生の主人であり、中心でありたいという態度のことです。聖書はこのような態度を「罪」と呼んでいるのです。その罪のゆえに、神と私たち人間との間には越えることのできない深い溝が出来てしまいま...07Oct2016信者でない方へ
3.この世は次の人生への準備期間この地上の人生だけがすべてではありません。この地上における人生は、本番前のリハーサルのようなものです。死の向こう側で過ごす時間の方が遥かに長いのです。私たちはそこで永遠の時を過ごすことになります。地上における人生は、永遠の生活に備えるための準備期間であり、テスト期間です。また本番前のウォーミング・アップのようなものです。この世は次の人生への準備なのです。永遠に残る遺産ーいつの日か、私たちの心臓の鼓動は停止するでしょう。それは私たちの肉体とこの地上における時間が終わったことを意味しますが、それでおしまいなのではありません。本番はそれからなのです。この世の人生は、次の人生への備えの期間であり、テスト期間なのです。この世の人生において、私...07Oct2016信者でない方へ
4.キリストを自分の救い主として信じるか否かいつの日か、私もあなたも神のさばきの御座の前に立つ時がやって来ます。永遠に入る前に、そこで最終試験とも言うべき、人生の審査を受けることになります。聖書は言っています。「私たちはみな、神のさばきの座に立つようになるのです。・・・・・こういうわけですから、私たちは、おのおの自分のことを神の御前に申し開きすることになります。」信じるか否かー幸いなことに、神は私たちがこの最終試験に合格できるように、前もってその質問を教えてくださっています。その質問とは、第1に「神の御子イエス・キリストを、あなた自身の個人的な救い主として信じ受け入れましたか?」というものです。この質問は、どこで永遠を過ごすのかを決めるものです。つまり天国で永遠を過ごすのか、...07Oct2016信者でない方へ
5.ある仏教徒が回心した話これは、ある人がイエス・キリストを信じて人生が変えられた話です。昔、その男性は瀕死の状態にありました。医者に行くと、レントゲンを撮られ、右肺の真ん中らへんが全部なくなっており、左肺は蜂の巣のように結核に冒されていると診断されました。また、心臓は肥大し過ぎて、適切な血液循環がなされていませんでした。医者は3カ月か、長くても4カ月の命だと言いました。その時、医者は彼にこう言いました。「君、がっかりしてはいけない。人生というものは、せいぜい100年までだ。君は18歳だが、生きたとしても、あと80年も過ぎれば、みな墓場行きさ。」その医者は彼を慰めるつもりで言ったのでしょうが、そんな理屈は、彼にとって何の慰めにもなりませんでした。絶望の中で彼...07Oct2016信者でない方へ